興味深い歴史です 2

そもそも二本の脚を別々に包む男のズボンと、すっぽり隠した女のスカートという衣服の性差がはっきり分かれたのは一四世紀だった。

それは戦に明け暮れる時代の「武装の原理」から生まれた。

鎖かたびらから、より強固なプレート状の鎧への移行が、長さの違いしかなかった性別不明の占代からのモードを終わらせる結果になります。

「胴と脚に密着した鎧を脱いだ時の男性は、これまでとは違った服装、つまりすべてがきつく、ぴったりしていなくてはならなかった。

プレート状の鎧は、体にできるだけきっちり密着している時のみ、有効な防具であったからです。

ここにこそ、ヨーロッパの男性の服装を、それ、までのまだ古代と結びついたモードから決定的に解決した転換点があります。icon:catface

年齢を間違われた・・・?

「この事実をごらん下さい」というやや高揚した調子で始まるリードコピーを読んでみようと思います。


「マッカーサー元帥に『十二歳位だ』といわれた日本の国の発明や発見が・・・


堂々と世界の消費者にその優れた真価を知られ愛用されて名声を謳われている事実は何を意味するでしょうか?


この事実こそ日本の誇りであり私達の精神年齢が世界に劣らぬ国民であることを証明しています」


・・・つまり、日本人の精神年齢は、けっして「12歳」ではありません。


それは、日本人自身の発明によってつくられた世界に誇る商品群が、事実によって証明している、というわけだ。


では、それらの商品とはなにか。


それが、広告紙面に見られる「味の素」「ニッコール」「タカヂアスターゼ」の三商品です。


まだ創価学会 仏壇などの仏具の広告が少なかった時代の話です。


興味深い歴史です 1

初めてショート・スカートが登場したのは20年。

スカートの裾が地面から七インチ上がったといいます。

今ならミディ丈といわれる長さだが、古代から第一次大戦前まで大人の女は脚どころか足さえもフルレングスのスカートの中に隠されていたのたからこれは大事件だった。

ある一時期、フランス革命直後のディレクトワールと呼はれた時期(1795~99年)に古典ギリシャ風のシュミーズ・ドレスが出現し足があらわれるのだが、この時も革命後の束縛からの解放が、肉体の自由の追求につながったといいます。

この世界は その9

どんな仕事でも歴史有ですね( `・ω・´)


東京のスタジオで特派員からのボイス・リポートを紹介していくアナウンサーたちも、それぞれにくふうしました。


ただ羅列するだけでは単調になりがちな記者のボイス・リポートをいかに有機的・効果的に組み合わせ、並べ、そしてつなげるかが、彼らの力量の問われるところでもありました。


記者たちはしゃべりの専門家ではないから、発声や発音やイントネーションなどに問題がないというわけではなかったが、そうしたアマチュアのリポートを発声・発音・イントネーションなどのプロであるアナウンサーがつないでいくところに、実は絶妙のコンビネーションがありました。


特派員、アナウンサーの相乗効果があったのです。

この世界は その8

こんばんは。前回の続きです(´▽`)


事実番組ではかなりのリポートが海外駐在員の近況報告に近いものであり、それがまた受ける由縁でもありました。


ふり返ってみれば、国際化の途上にあった日本と日本人にとってピッタリの番組だったのでしょう。


『ラジオ特派員報告』は質的にもすぐれた番組でした。


特派員が用意するボイス・リボート用の原稿は推敲に推敲を重ねたものであったし、耳で聞いて理解できなければならないということで言葉やその響きにも特派員はたいへん気を使ったからだ。


文章から贅肉をそぎおとし、ムダを省き、テンポやリズムにも気を配ったラジオ用の完全原稿を特派員たちは目ざしました。

この世界は その7

堅いニュースや日つけもののニュースはあまり扱わず、特派員が駐在しているそれぞれの土地でのトピックスがテーマになりました。


NHKの数あるラジオの番組のなかで『ラジオ特派貝報告』ほど多くの隠れたファンを獲得した番組もなかったでしょう。


ラジオをきく側からすれば、自分が実際に見たりきいたりすることができない外国の様子が現地にいる人間のナマの言葉できこえてきます。


一方、特派員の側からすれば、まるで故国にいる親や親類さらには友人知人に自分の近況を報告するような感覚で"ニュース"を伝えることができます。

この世界は その6

こんばんは(^o^)ノまたもや前回の続きです。


原稿を読むのがアナウンサーではなく書いた記者本人であったなら、『リレーニュース・郷土の話題』はまた別の印象を与える番組になっていたでしょう。


しかし当時のわれわれには、「原稿を書くのは記者で、それを読むのはアナウンサー」という暗黙の了解があり、それについては、だれもが疑いをさしはさまなかったそうです。


『ラジオ特派員報告』はそれにくらべれば、原稿を読むのが特派員であるということだけでも"進んで"いました。


番組そのものの形式は『リレーニュース・郷土の話題』とそれほど違ったものではなく、東京のスタジオにいるアナウンサーが特派員を次々に紹介し、その特派員たちが一分三十秒から二分程度のリポートをボイスで行うというものでした。

この世界は その5

知って驚きなのですが、『リレーニュース・郷土の話題』という番組は文字どおり郷土の話題であって、いわゆるニュースではなかったそうです。


どこそこの公園に珍しい花が咲いたとか、動物園でチンパンジーの赤ん坊が生まれたというたぐいの話で、一刻一秒を争うニュースではなかったのです。


それでも、われわれ記者はときどきこの『リレーニュース』用の原稿を書かなければなりませんでした。


書くには書いたが読むのは原稿を書いた記者本人ではなく、例によってアナウンサーであったことはいうまでもありません。


ただこの『リレーニュース・郷土の話題』がより進んだ番組の形式をとっていたのは、それぞれ原稿を書いた記者が仕事をしている場所に近い放送局のアナウンサーが、リレー形式で原稿を読んだという点です。

この世界は その4

当時の話し。


取材現場からの記者のリポートをスタジオの司会者がつないでいくという形式のニュース番組は、アメリカやヨーロッパの放送局ではあたりまえのものとして考えられ実行されていたが、日本の放送のなかではほとんど存在しませんでした。


NHKでは『リレーニュース・郷土の話題』というタイトルの番組があったが、この番組では東京のスタジオにいるアナウンサーや日本全国各地の放送局のアナウンサーが花鳥風月・各地のたよりをリレーで読みあげていました。


そのころ同種の番組で海外特派員が参加する『ラジオ特派員報告』という番組もありました。

この世界は その3

こんばんは。前回の続きです。

屈折した心理はおそらく記者に特有のものであろうし、記者のすべてがこの心理を持つということでもないだろうが、記者が記者である限り決してすぐれた読み手になることができないというのが得た結論です。


ただし、その記者が自分が書いた原稿の読み手になるときだけは別です。


記者が自分の書いた原稿を読むとき、いかに技術的には読みがへたな記者であってもその読みの内容は強い説得力を持つ。


なぜなら、その記者は一つあって、二つとない情報を伝えているからです。


新聞記者が代筆してもらうことなど考えないように、放送記者は代読してもらうことなど考えてはいけないという私の主張を繰り返す理由はここにあります。

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